ナウなヤングにバカウケしたいなあ。

自由故に孤独を愛し、孤独故に自由を欲す(猫侍)。スカイプIDはsuhubu1

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NCやAVGNの影響と何か

ここら辺から暫くは序文です。全部読むのは面倒な場合、太字だけ読めば大意は伝わるかと…

うーんやはり面白い。AVGNとNC。
前者は世界共通のプレイヤーの視点と海外のプレイヤー特有の視点から、如何に対象となるクソゲーがクソなのかをアメリカン毒舌で力説。動画の編集技術の高さも相乗して、映像作品としても面白いという一粒で二度美味しい。
後者は、日本で言うキレ芸に近い所があって、寧ろ対象となる映画そのものより、NCがレビューの対象が付加しているネタにどんな反応を起こすかが楽しみになるという、一種の芸人である。
ヒットしている理由は色々有ると思うが、やはり目新しさが一番大きな要因なのではなかろうか。こと日本だと(有志による翻訳版が中心)、海外特有の視点を感じ取ることが出来るというのが目新しかったのではなかろうか。

前述の二人が日本に浸透する以前だと、有野課長のゲームセンターCXや、動画サイトにアップロードされる実況動画が主流だった。この二つの主流は会話というか、半ばグダグダな雰囲気を楽しむことが面白さになっていて、それは悪くはないし、日本の文化みたいなものだと思う。

だがパッと見て判り易く纏まっている作品というのは、あまり見受けられず、雰囲気を出すための冗長さ故に少し長かったり、映像作品としてのインパクトの強いものはあまり存在していなかったように見受けた。こと映画に関しては文章こそ多いものの顔出し動画のような映像として語っているものは少ないし、そもそもそれをすると叩かれる風潮がある。日本は出る杭は打たれる。

だが、レビュー対象に言いたい所をスパッと纏め、くどくなく、映像としても面白く、更に顔出ししても嫌悪感を感じず…と目新しさをもっていたAVGNやNCが今、世界でブレイク(ネット上で)しているのはそういうスッキリとしていて、それでいて密度の濃いといふ非常に構成力の高い所に有るのか…と思う。

さらにこの二人はマルチタスクをこなせるというか、バイタリティが高いと言おうか、AVGNならゲームだけでなく、映画やボードゲームのレビュー。NCなら懐かしの(アメリカの80~90年代が主流?)TV番組へのレビューや○○トップ11シリーズ…と一つのジャンルのみでなく、複数のジャンルを取り扱っている。AVGNは其々で別の名前を使ってレビューし、それぞれでキャラも評価法も変わっている(ゲーム以外は穏やか)。NCもまた名前を変え、更に姿も完全に変っており、キャラのブレ幅もとても広い(いっちゃってるホームレスから知識人風まで)、本当に芸人だと思う。
で、この二人に負けじと様々な動画レビューを創っている人は動画サイト上に大勢いるし、それは凄く面白いことだなと思う。一度くらいは桜☆もやりたいなぁ…と気弱ながら考えることもまたある(顔出す勇気は無いんだよなぁ…)。

(ここから本題)

で、ここから漸く言いたいこと。
構成力の高いレビューは、それを見る人間への汎用性と浸透性が凄く高い。桜☆の書いた駄レビューにも何かとこの二人の影響が強く思う。何とか抜け出したいところだ。
ことに、この二人のレビューは言いたいことを前面に押し出しているテーマ性が強いところがあって、ついついそのテーマとなる意見が染み付いて自分の意見の構成に影響が出てしまう。
この二人が対象を褒めちぎってるレビューの影響なら、差しさわりはあまり無いと思うのだけれど(個人的に)、レビュー対象がクソという扱いの場合は、一寸違ってくる。
先に書いたようにテーマ性が前面に出ていることで、主体がクソ扱いなので褒める箇所について述べていても、カレーに付いてくる副神漬けのように小さな扱いなので(でも構成としては重要)、レビューを読んで知ったような顔をする輩がほぼ聞かないところだ。
この知ったかする輩といふのは、得てして喋りたがりで、サブカルチャー分野は非常に多いと思う。
つい先程に「バットマンの映画に出るペンギン(バットマンの悪役)とかひでえわwwwシュワルツネッガーまじひどいわwww」と不快な嘲笑する輩が居たのだが、彼の言い草は概ねNCの「Mrフリーズの逆襲」のレビューが影響元なのだろうけれど、そもそも君の言い分だと配役を間違えているし、彼がシュワルツネッガーを酷いと言うのは主に滑舌が悪いと言いたいのだろう。だがシュワちゃんの滑舌の悪さは半ばネタで言われていると知っているのだろうか。そもそも日本語の吹き替えでしかシュワちゃんの出る洋画を見ないような輩の言えることではない。
彼は別にレビューするつもりは無いだろうし、そういった態度でしてほしくない。だが、彼は間違いなく人に話すし、彼の話を聞いた他者が間違った形で不当な作品の評価の印象を受けるは好ましくないことだ。
ちゃんと一から自分で感じたこと、調べたことを構成して人に話す。当たり前の話だけれど、そういう姿勢を忘れないで桜☆はレビューを付けたい。そう思ったわけさ。

纏まってねぇな、この文章
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  1. 2012/07/01(日) 19:40:10|
  2. エッセイ
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昨日、そして今の苦悩

青年期は躁鬱の繰り返しだ。とは何処かで私が聴いたことだ。
ナウなヤングである私も青年期に当たるのだろう(私は若者)。しかし、まぁ、実際のところ躁鬱するほど気持ちも跳ね回っていないし、むしろ沈みこんで身動きしない。掻っ捌かれた腹に泥水をぶち込まれ無理やり縫合されたような気分だ。言いようの無い不安が心をよぎり続ける。おかげで物事をまともに楽しめない。ここ一年心の底から楽しめたのは数えられるくらいだろう。

結局、この不安は何なんだろう。多分に漠然とした将来への、過去の、生き方への不安ではなかろうか。なるほど、書いてみれば確かに。振り返ってみればただ何となく生きてきたような人生だ。幼稚園で疎外感を味わい、小学校で孤立を実感し、中学校で1年近く学校へ行くのをやめ、高校で「人生どうでもいいやぁ」の極論に至り、大学入試も落っこちて、今や編入目的で短大に入ったものの、その編入対象の大学に「何で入るの?」の考えに至って、放棄しかけている。
こうやって書いてみると高校あたりからモノを考えるようになったのだなぁと実感する。しかしまぁ考えることが腐ってるというか退廃的というか自己破滅願望でもあるのじゃないかしらと疑いたくなる。普通ならもうちょっと努力しそうなものだが、私という人間は中学を出た辺りから湧き出す「私、生きてても意味ねぇ」の考えが蔓延し続け、抜け出そうとしても抜けられない。そのうち自分で自分が歯がゆくなる。時間を経て歯がゆさは不安に変わる。自殺に至りそうだ。
が、この記事を書いている以上、私は生きている。何故か。それは世捨て人のような考えをしていながら「まだ生きていた方が何かある」という天邪鬼が私の中に居るのだ。先にも書いたこの天邪鬼は何なのか? それはまぁ私なのだが。考えてみれば、この天邪鬼は悩み続ける私自身が私自身に無意識下で行っている不安のガス抜きなんじゃないかと思う。無意識下で逆のことを煽っておいて、その問題で心と頭を占有させ、その間に不安を心外へ。そしてとりあえず生き永らえさせる。これは心理学とかでよく聞く「自己防衛」というやつなんだろうか。もしそうなら、私は自己防衛依存症か何かだ。常に自己防衛を続けて何も考えないようにしている。不安を考えないように。コレを書いている今も「なんで文章や絵の勉強をしないの?」という問いかけを自問自答している(心の中で)。
しかもコレは心の中だけで済むものじゃないのかもしれない。私の創るものは自己防衛の産物なんじゃないだろうか。ヒーローという机上の落書き、レビューという駄文。センスなき漫画。何にもなりゃしないモノを考案しているのも、講義中とかそんな時間だったりする。時間の無駄遣いだ。しかしそうでもしないと、まず落ち着けないのだ。
そしてそれを容認している私は、落ち着けない私を止められないのだ。これで何か身を立てれるほどのケッサクが出ればよいが、そんなものは微塵にも無い。はっきり言って小学生にすら負ける駄才で生み出されていると言ってもいい。それでもなお、作品を作ろうとする。
これ即ち、私が自身のコントロールが出来ないということ。コントロールする私が機能していない。
私は、不安を消そうとして自分を消しつつあるのではなかろうか。不安を考えられないように……

結局、私という自我はどうなるのだろう。と今に思ったが、これも不安なのかもしれない。

===

※このエッセイには多分に脚色された箇所などございますのであまり本気になさらないでください。
  1. 2011/08/25(木) 22:55:47|
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松山~西条往復の記憶の断片

さて、ようやく心が平常運転を始めた今。西条について思い出していく。
断片なので何がなんだかかもしれないが、読んでいただければ幸い。



このアフォみたいな遠出は友人(仮名さんの希望で友人扱い)と「西条に行ったらええ掘り出し物あるやろか?」という取らぬ狸の皮算用に始まる。地獄を過ぎ去った今の私は全力で彼らを止めたい。

出発しばらくして、桜三里に入るか入らないかの位置。午後3時。もうこの時点で不味い。往復時間も考えなかった大馬鹿ここに極まる。往復約80km。
そんな中、友人の自転車の前輪の空気が抜けていることに気付く。引き返そうかという雰囲気。引き返せばいいものを。近くにダイキがあることに気付き、寄って即席空気入れを買い、使用。あっという間にタイヤは膨らみ、近年の技術に二人で驚く。

桜三里入る前。山道の途中にラーメンショップに差し掛かる。それほど山は登ってなかったが、山ということもあり妙に寒い。二人でラーメンショップ前の自販機で飲み物買って飲んでいたところ、ラーメンショップのシャッターが下ろされ始めた。シャッターには閉店時間4時とある。なぜ帰ろうとしないのかを当時の我々に問いかけたい。

桜三里のトンネル。自転車の入る隙間さえ無いような車道。「やめようぜ。これは…」と促す友人。だが、桜☆のバカは何を思ったか「進軍っ」といわんばかりに車道の傍を突き抜ける。真横スレスレをトラックや一般車が走り抜ける。実に危ない。

トンネルを抜ける。抜けてすぐにトンネル茶屋(?)とかいう所に自転車乗りの兄ちゃんを二、三人見かける。「なんだ俺らだけじゃない。」よく見ろ、アレはカスタムサイクルだ。

トンネルを抜けるとそこからは下り道。後は勝手に進む進む。水力発電所を見つけ、謎のガラクタ屋を過ぎ(寄りたかったが友人が拒否)、「超」「危」「険」の標識の立ったカーブを抜け、「ブルドック」という喫茶店(?)を見て「あぁ、ここが味平の……」と一人で納得。廃墟の道の駅のようなものを素通りする。走る中は勿論その真横をトラックや一般車が走り抜ける。友人は何を思ったろう。そして徐々に手先の感覚が冷たさで麻痺しているのに気付く。手が痛い。山の上から駆け下りているんだから当然である。

山を下ると友人は「疲れた。自転車変えれ」と提案してくる。彼の自転車は年季のいったママチャリだ。コイツに倒れられても困るのでとっかえて走り出す。ついでに手先が寒くなってきたので手袋をはめる。

馬糞の臭いを掻い潜り、ラーメン屋を超え、山を下りながら徐々に市内へ向かおうとする。だが一向に市内に入らない。見えるのは畑ばかりだ。西条は松山と違い、メリケンの如く平地が広い。四国コカコーラ工場を過ぎ、橋を二つくらい突破し、とにかく国道11号沿いに進む。が、一向に市内に入らない。途中に商店街らしきものを見かけて強引に寄るが何も無い。徒労。

多分だが桜三里から60kmは進んだろうと思う位置。コンビニにより、色々食うもん買って二人で考える。空は絵の具をぶちまけた様に真っ暗になっていく。「帰ろう。何も無い。」やっと気付く。

が、近くで某リサイクル本屋を見かける。喜び勇んで寄ってみる。その結果。「あすか120%スペシャル」「ランナバウト2」「レイストーム」「ヴァンピール」この中で全うに欲しかったのはヴァンピールのみ。後はもう何も無いことへの当て付けか、はたまた意地か。友人もCDをジャケ買い。彼は苦しんでいたようだが、CDは逸品が見つかったのだろうか。

そして帰路開始。「ネカフェで一夜明かそう」「海沿いに行こう」という気だるさ丸出しの提案。前者は携帯で現在地近くのネカフェを調べて一店も無いことに気付き、後者は常識で考えて海沿いで帰れば朝日と挨拶できる時間になると気付き、元の道を行くしかないと気付く。

うっかり新居浜に向かっていたりとミスをかましながらもやっと帰路に入る。しかしここで気付く。行きは下りだったと。もう心の枝葉は消し飛びかけていた。山道はキツイママチャリで必死に登る。しかし友人は涼しい顔で坂を登っていく。24段ギアのチャリ様様である。彼はポーカーフェイスなので苦しくとも怒っていても金太郎飴のように同じ顔だが、このように疲れていると微妙に疑う。さすがに心底は疑わない。途中で私の自転車のライトの電池が切れる。寿命だろうと思い予備の電池を入れる。

山に入る前に、下る途中に見かけたラーメン屋に寄る。とりあえずラーメンを頼む。友人はチャーハン。ゆっくり食いたいが、時間が無い。さっと食って出発する前に時計を見る。午後10時だ。

そして山を登り始める。下りのようにはいかず自転車の手押しを余儀なくされる。昼間以上に車やらトラックが駆け抜ける。集団のトラックが駆け抜けるとデコレーションが揺らめくように走り、「綺麗やな」と言ったら友人は「俺は怖い。お前みたいな奴はすぐ死ぬ(大意)」と言う。空を見れば満天の星だ。「アレはオリオンだ。あいつはさそり座から逃げてんだぜ。」と意味も無く友人に言う。疲れているととにかく元気であろうと何か言いたくなる。迷惑だったろう。途中友人の足が与太付いたのか道端の堀に足を何度か突っ込みかける。後から言われたが、足の与太つきは普段かららしい。しかし私は疲れていたその時「こっちもやはり疲れているか…」と実感した。

どうにかトンネル前の茶屋に戻る。寒い。茶屋前にはトラックが並んでおり、茶屋の前の自販機付近にトラックの運ちゃんが三人立って話していた。何か飲むものが欲しかった我々は自販機で買おうと自販機に近づく。自転車から降りて一息ついた時、運ちゃんが気さくにも話しかけてきた。
「兄ちゃんたち自転車で登ってきたの!?」
「ええ、そうっすよ」
「どっちいくん?もう12時過ぎたで」
「松山から来て西条行って今から松山帰りますよ」
「若いねぇ……」
多分運ちゃんも底抜けのバカを見たような気分だったろう。私も当時の私を見たらそう思わずにはいられない。もしストレートヘアになっていなかった頃なら爆笑間違いなしだ。そして飲み物買って出発せんとする。
「兄ちゃんたちいくんか?」
「はい」
「車にきぃつけや」
「はいっ」
友人が乗っていた私の自転車を返却していただき、松山へと走り出した。

トンネルを抜け、明かりの消えたラーメンショップが見えた時、東温市内と松山市内の明かりが見えた。そんなもんを「おぉ綺麗だな」と思ってしまうほど疲れていた。そして坂を下ると行きに下った坂より断然寒い。顔と指に氷が張ったようだ。手袋はもはや意味を成してはいなかった。

東温市内を、松山市内をゆらゆらと走りながら我々二人は寒さでろれつの回らなくなった舌でとにかく歌を歌いながら帰っていた。大声も出せず雲霞の唸るような音でしか歌えなかった我々とは…

そして家に帰宅。シャワーを浴びる。こんなに生きた心地がするのも久々である。手先は赤ペンキでも塗りたくったような色であったが。見事シャワーで甦る。風呂を上がり、時計を見る。午前2時半である。そう認識するかしないかのあたりで眠りに入った。

翌日、母親に往復のことを話す。「あんたたちよく帰ってこれたね~。トラックとか車とか多かったやろ?桜三里はマイナス5度になるくらいやったはずよ。おかげで高速は通行止めやったらしいよ。」との返答を頂く。よう帰ってこれたなぁ……と漠然と思わずにはいられなかった。


以上。
  1. 2011/03/09(水) 00:07:38|
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深夜歩き

私は生活の都合上、夜が主な活動時間で、暇になったり意識が飛んでいきそうになると、フラッと外に出る。

辺りは中途半端に田舎なのでなにも面白い景色は無いが、ボーッと歩くだけでも大分気分が良くなる。そういえば、何故か警察に会ったことはない。会ったら即職質されるような顔をしているので実は怖い。

ついさっき、珍しく道路工事に出くわす。「向こうの信号から迂回してください」と力一杯言われた。私は回れ右して家に戻った。
  1. 2010/10/28(木) 01:34:48|
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