ナウなヤングにバカウケしたいなあ。

自由故に孤独を愛し、孤独故に自由を欲す(猫侍)。スカイプIDはsuhubu1

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昨日、そして今の苦悩

青年期は躁鬱の繰り返しだ。とは何処かで私が聴いたことだ。
ナウなヤングである私も青年期に当たるのだろう(私は若者)。しかし、まぁ、実際のところ躁鬱するほど気持ちも跳ね回っていないし、むしろ沈みこんで身動きしない。掻っ捌かれた腹に泥水をぶち込まれ無理やり縫合されたような気分だ。言いようの無い不安が心をよぎり続ける。おかげで物事をまともに楽しめない。ここ一年心の底から楽しめたのは数えられるくらいだろう。

結局、この不安は何なんだろう。多分に漠然とした将来への、過去の、生き方への不安ではなかろうか。なるほど、書いてみれば確かに。振り返ってみればただ何となく生きてきたような人生だ。幼稚園で疎外感を味わい、小学校で孤立を実感し、中学校で1年近く学校へ行くのをやめ、高校で「人生どうでもいいやぁ」の極論に至り、大学入試も落っこちて、今や編入目的で短大に入ったものの、その編入対象の大学に「何で入るの?」の考えに至って、放棄しかけている。
こうやって書いてみると高校あたりからモノを考えるようになったのだなぁと実感する。しかしまぁ考えることが腐ってるというか退廃的というか自己破滅願望でもあるのじゃないかしらと疑いたくなる。普通ならもうちょっと努力しそうなものだが、私という人間は中学を出た辺りから湧き出す「私、生きてても意味ねぇ」の考えが蔓延し続け、抜け出そうとしても抜けられない。そのうち自分で自分が歯がゆくなる。時間を経て歯がゆさは不安に変わる。自殺に至りそうだ。
が、この記事を書いている以上、私は生きている。何故か。それは世捨て人のような考えをしていながら「まだ生きていた方が何かある」という天邪鬼が私の中に居るのだ。先にも書いたこの天邪鬼は何なのか? それはまぁ私なのだが。考えてみれば、この天邪鬼は悩み続ける私自身が私自身に無意識下で行っている不安のガス抜きなんじゃないかと思う。無意識下で逆のことを煽っておいて、その問題で心と頭を占有させ、その間に不安を心外へ。そしてとりあえず生き永らえさせる。これは心理学とかでよく聞く「自己防衛」というやつなんだろうか。もしそうなら、私は自己防衛依存症か何かだ。常に自己防衛を続けて何も考えないようにしている。不安を考えないように。コレを書いている今も「なんで文章や絵の勉強をしないの?」という問いかけを自問自答している(心の中で)。
しかもコレは心の中だけで済むものじゃないのかもしれない。私の創るものは自己防衛の産物なんじゃないだろうか。ヒーローという机上の落書き、レビューという駄文。センスなき漫画。何にもなりゃしないモノを考案しているのも、講義中とかそんな時間だったりする。時間の無駄遣いだ。しかしそうでもしないと、まず落ち着けないのだ。
そしてそれを容認している私は、落ち着けない私を止められないのだ。これで何か身を立てれるほどのケッサクが出ればよいが、そんなものは微塵にも無い。はっきり言って小学生にすら負ける駄才で生み出されていると言ってもいい。それでもなお、作品を作ろうとする。
これ即ち、私が自身のコントロールが出来ないということ。コントロールする私が機能していない。
私は、不安を消そうとして自分を消しつつあるのではなかろうか。不安を考えられないように……

結局、私という自我はどうなるのだろう。と今に思ったが、これも不安なのかもしれない。

===

※このエッセイには多分に脚色された箇所などございますのであまり本気になさらないでください。
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  1. 2011/08/25(木) 22:55:47|
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